これからのバズる力は「妄想力」と「ストーリー力」という話【オッサンに眉をひそめられよう!】

imagine ニュータイプの思考法

こんにちは!りっきー塾長です。

今回は引き続き、ジェネレーションギャップとその原因および対処法について、日本の社会の成長フェーズが変わったことをメインの切り口で、解析していきたいと思います。

前半は、この30年でどのように社会が変わってきたか?その中で、企業が勝ち残るにはどのような力が必要になってきたか?をまとめます。

そして後半で、じゃあ、私たちはどのように考えていけばいいのか?について、私なりの提案を投げ込んでみようと思います。

 

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「いつかはクラウン」の時代の価値観とは?

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「いつかはクラウン」というキャッチコピーをご存じでしょうか?

これは1980年代に石坂浩二氏が作った、トヨタ自動車の宣伝コピーなのですが、クラウンというのは当時、トヨタの中でも最高級車であり、庶民がとても手が出せるものではなかったんですね。

でも出世して、部長になったら、クラウンに乗れるようになりますよ。

だからみんな頑張って仕事をして、出世しましょう。

そして、いつかはクラウンに乗りましょう、というものだった。

 

これぞまさしく「みんな一緒の成長社会」の典型です。

実際に成長社会では、今よりも明日、今年よりも来年、頑張れば豊かになれたんです。

1975年(昭和50年)ごろの学卒平均初任給は、およそ10万円でした。それが1995年(平成7年)ごろは、20万円になっています。

つまり新入社員の初任給が、20年で2倍に、毎年5千円ずつ上がっていたということです。この感覚は、30代以下の若い人にはほとんど実感できない感覚です。

 

今日よりも明日、今年よりも来年は、黙っていても給料が上がる。

そういう時代では頑張ったら、そこには「ベターライフというご褒美があるよ、だから頑張ろうね」といって頑張れたというのも、ひとつの事実だったのです。

 

日本では実に戦後約50年もの間、それが著しく成功してしまった。

しかしそんな成長社会から、1990年代後半に、日本は静かに成熟社会に移行した。

この成熟社会への移行は、静かに、気づかないうちに起こっていたんですね。

 

その後30年間、日本経済は停滞を続け、「失われた30年」とか言われています。

この間日本は何をしていたかというと、一言で言うと、かつての勝ちパターン、かつての成長カーブを必死に取り戻そうとしていた。

つまり「成長社会」のイメージを持ったまま、今までの延長線上で、「成熟社会」を突き進もうと考えてしまっていたわけです。

その結果、何が起こったか?

 

この20年、日本は経済面でも、教育面でも、「一人負け」の状態となってしまった。

経済面では分かりやすく、一人当たりのGDP(国内総生産)は世界トップから20位以下に落ち、韓国にすら抜かれそうな状況です。

 

国民や社員の教育に価値を置かない国

Education

教育分野の比較では、世界大学ランキングの推移が分かりやすいです。

2004年時点で東大は世界の大学の中で12位でしたが、2019年では41位まで落ち、中国や香港のトップ大学の後塵を拝している状態です。

そんな「失われた20年~30年」の中で、我々日本人は、自信をすっかりなくしてしまった。

がんばっても給料は増えない、社会は明るくならない、リストラは増える、不安定感と不安しか増えない・・・

 

状況を変えられるのは、「国民や社員(特に若い人)への教育」しかないのだが、その教育への投資も、本気でやろうとしているのか、さっぱりわからない。

現に企業内の人材育成・教育訓練費は、2011年時点で、ピークだった1988年の6割程度しかない。

世界で比較しても、企業の教育訓練費(労務費用比)はイギリスやフランスより一桁小さく、あの韓国の半分以下です。

さらに公的職業訓練の公的支出(GDP比)は、主要先進国(OECD)平均の1/3以下。

どのデータを見ても、日本政府、日本企業がいかに「国民や社員の教育に手を抜いているか」が分かります。

Japanese education cost
Japanese education cost 2

これでは、まともな日本の若い人は、先を憂いて病んでもおかしくありません。

しかも会社に入ると、バブルのころの成功体験が抜けない「時代錯誤のジャマオジ(※)」が、まだはびこっていたりする。

 ※ジャマオジ・・・現代の感覚やIT/データのセンスが理解できず、若い人のけっこう核心を突いた革新的な提案にも、「意味が分からん」とか、「ムダも大事」とか言って拒否したりする、ただただジャマなオジサンのこと

 

さらに会社では、訳の分からん「精神論」じみた指導も、まだはびこっているのが現状です。

例えば「誰よりも早く会社に来て」「机の周りを掃除して」「メールチェックをして、誰よりも早くスタートを切る」ことが暗に美談とされ、推奨されてるとか。

または「サラリーマンは何で給料をもらっているか?それは「我慢」だ。サラリーとは「我慢代だ」」とか言っちゃってるとか。

はたまた「仕事の意味とか価値?そんな1円にもならんことを考えているヒマがあったら、さっさと資料を作って、現場に行って、人に会って来い!」とか・・・

 

ただでさえ「失われた30年」という、わりと暗い雰囲気の中で育ったんです。

しかも「終身雇用は終わり」とか「会社にすべてを奉仕するだけでは生きていけない」とか、不安をあおる記事があふれかえっています。

それなのに会社に入った瞬間に、「ワケのわからん意味のない精神論」とか「それ現代ではただのムダ作業じゃね?」という仕事でがんじがらめになっては、それこそ「この場所で生きる意味」を失っても不思議ではない、それが若い人のホンネだと思います。

 

勝つポイントは「問題解決(役に立つ」から「課題設定(意味を創る」へ

日本は高度経済成長期には、いかにライバルより「問題をうまく・早く解決するか」という能力で、競争力を上げてきました。

同じ製品を、他社(他国)より「安く(Low-Cost)」「高品質で(High-Quality)」「短納期で(Quick-Delivery)」仕上げる。

そして他社より「少しだけ安い/高品質/短納期」な製品を、ドブ板営業でひたすら時間をかけまくって売りさばいてシェアを上げていく。

この時代のゲームのルールは、「早い・安い・上手い(高品質)」ければ勝つという、わりと安定的なものでした。

この場合、ゲームのルールが長年変わらないので、経験のある年長者は、若手よりもすべての面で「一日の長」があったわけです。

つまり分かりやすく言うと、上司の経験や指示が、わりと的を得たものになりやすかった、と言ことです。

そして勝負に勝つためには、なるべく長時間、文句を言わずに言われたことをひたすらやり続ける、頭脳勝負というよりはどちらかというと体力勝負に強いという社員が望ましかった。

体力勝負で「早い・安い・上手い」ゲームに勝つ!と全力集中していけば、それなりに戦うことができた、ということだったんですね。

 

こういう状況では、いちいち上司の言うことに「その指示の意味は何ですか?その背景は?」などと、仕事の本質を聞いてくる社員は、ジャマでしょうがないのです。

「早く、安く、上手く大量に作る」が勝ちというシステムでは、グダグダ言って、ダラダラ考えている暇があったら、手を動かし一個でも多く作り、足を動かして一個でも多く売ってこいよと。

「考える前にやることがあるだろ!!」が通用する時代だったんですよね。極端に言うと。

 

技術力ではなく、妄想力とストーリーで勝負が決まる時代へ

narrative story

しかしこの20年、日本人が相変わらず「体力勝負」で長時間働き続けている間に、世界の勝負のルールが変わってしまった。

ソニーのWalkmanは「音楽を持ち運ぶ」というイノベーションを起こしたのですが、今やiPhoneに代表されるスマホに完璧に凌駕されてしまいました。

このムーブメントを起こしたのは、アップルのiPodやiTunesでした。

iPodはやがてiPhone(スマホ)へとつながり、それこそ社会生活や消費の概念自体をごっそり変えてしまった。

 

約20年前、日本の家電メーカーは、こぞって流行りの携帯電話(ガラケー)を作っていました。

日本国内の携帯市場では日本メーカーがシェアを寡占し、ノキアなど海外メーカーはほんのマイナーな存在でした。

あれからほんの10数年後の現在、携帯のシェアはアップルとサムスンの海外勢に50%以上を奪われています。

iPhoneは、技術的には十分、10年前の日本でも製造できたといいます。

むしろiPhoneが出だしたころ、日本の技術者は「あんな子供のおもちゃみたいなものが売れるわけないだろ」と、バカにしていたという話もあります。

しかし、勝負は単純な技術力、つまり「モノとしての複雑さや難しさ」ではなかったんですね。

10年前でも、日本の技術があれば十分作れたiPhoneは、音楽の楽しみ方の概念をごっそり変えてしまいました。

音楽をいつでもどこでも好きに編集して、身にまとえるモノにするという妄想です。

音楽を「所有する・入れる」のではなく、「編集する・使う」という体験に変えることで、圧倒的な支持とシェアを獲得したわけです。

 

それを作ったのは、一風変わった若者が集うベンチャー企業、アップル社でした。

アメリカにも、電話を発明したあの「グラハム・ベル」が作った、超優良企業「AT&T」という巨大電話会社がありましたが、この超エリート企業も、iPhoneやスマホは作れなかった、いや作る価値が分からなかったんですね。

なぜなら、「古いルール=安い、早い、上手い(高品質・高性能)」で勝負をしており、顧客体験をごっそり変える(音楽、写真、お金の決済、消費、体験すべてを手のひらに)というような「新しいルール」に勝負が変わったことに気づかなかったからです。

つまり勝負が「すでにある問題をうまく解決する」から、「こんなのあったらいいなという妄想をストーリーして提案する」という「課題設定型」へと変わったということです。

 

で、私たちはどうすればいいのか?

ここまでは社会の変化について、大きな視点でマクロ的な見方でお話してきました。

それで、ここまで読んでくれたあなたは、こう思うかもしれません。

「まあわかったと。今までの常識とか勝利の方程式が使えなくなっているのは。

んで、私はどうすればいいのか?」と。

「わりと古い会社とか組織で、わり古いタイプの製品とかサービスを作って、売っているのだが、どうすればいいんだ?」

と、こう思っている人が多いかと思います。

 

そういう私も、実はスッキリした答えは持ち合わせていません(笑)

目下、いろいろ試行錯誤中です。

「おいおい、待て!答えナシの刑かい!!」というツッコミが聞こえます。

ということで、あえて私がどのように試行錯誤しているかだけ、参考になるかどうかわかりませんが、お伝えしてみようと思います。

 

りっきー塾長の試行錯誤の方法
  • 面白そうだな、と思ったことは、仕事であれ学びであれ遊びであれ、一回手を出してみる
  • 迷ったら、GO(ちょっとやってみる)という方向で
  • やってみて「楽しいな」と思う部分がないか?探偵みたいに探してみる
  • 学んだことは、少しずつ仕事や家庭で使ってみる、OUTPUTしてみる
  • 楽しくないと思ったら、3日坊主でやめちゃうことを恥ずかしがらない
  • 知識と経験のフローとストックについて、何となく理解しておく
  • やはり人間、何かを「創る」「身体を動かす」のは楽しいと知る

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自分で手を動かし頭を使ってみて、そして自分の「好き」に気づく

例えば私は読書が趣味です。

主にビジネス書が好きなのですが、過去12年間で、1300冊くらい読んできたかと思います。

最初のほうは、「知識を得る」つまりINPUTがメインでした。

しかし途中から、学んだことを、翌日会社で少しずつ試してみる、つまりOUTPUTを混ぜていきました。

一つ例を示します。

30代前半に、マクロ/ミクロ経済学を勉強していた時期がありました。

私は当時、製造業の現場の係長をしていましたが、この経済学の知識を仕事で使えないかな?と考えたんですね。

そして「自職場のコスト削減におけるミクロ経済学的解析」とかいう改善提案の企画書を書いたりしてみました。

社内で実際に、事業所長以下に発表したのですが、みなさん「??」って感じでしたね。

当時社内で出世頭だった私の部長は、あきらかに眉をひそめていました(笑)

ただある人は「非常に楽しかったよ。まるで銀行で投資セミナーを聞いてるみたいだった」と言ってくれました。(ほめてない?)

 

私としてはこの一連の仕事が、意外と楽しかったんですよね。

例えば製造業では「自職場のコスト削減の取り組み」なんて当たり前のことで、普通にまとめたら、あまり面白くないんですよね。

ただそこに「経済学のエッセンス(学びたて)を盛り込む」ということで、いつもとはちょっと違った目線で、データを眺めてみる、違う軸でグラフを書いてみる、データを切り取ってみるということをしてみた。

グラフ自体は、現場の実績データを使い、連立方程式とか4次方程式とか駆使する、めちゃめちゃ数学的なことをするわけです。

そのやや複雑な数式を使いながらも、ストーリーは簡潔に、誰でもわかりやすいように組み立てていく。

こういう作業が、結構新鮮で楽しかったんですよね。

しかも、今までだれも、そんな切り口で眺めたことが無かったんです。

 

こういう風に「異種なモノを組み合わせてみる」というのは、意外と楽しいなと。

こういう「新しい切り口で物事を眺め、そしてストーリーを作っていく」という作業が好きだということを、私はこの仕事を通じて、再発見したんです。

 

ただ受動的に「読む、聞く、知る」だけでは十分ではないな、とこの時あらためて思いました。

学んだことを使って、自分の手を動かして、頭を使って、実際に活用してみる。

そして企画書なり提案なり、モノを作ってみる。

OUTPUTして初めて、それが楽しいか、自分にセンスがあるか、向いているか?が分かる。

ほんの小さなことでいいんですよね。

まずは自分の仕事や生活の周りで、そういう「小さいトライ」を少しずつ、やり続けることが重要だと。

それを再発見させてくれた出来事でした。

 

年長者に眉をひそめられることが大切

Question

さきほど、私が経済学と現場のコスト削減を組み合わせた資料を発表した時に、当時の上司(部長)から「眉をひそめられた」といいましたよね。

個人的にはこの「年長者に眉をひそめられる」というのが大切だと思っています。

それもけっこうな熱量と熱意をもって、わりとマジで作ったものに「眉をひそめられる」こと。

 

え?なんで?と思ったと思います。

なぜ、眉をひそめられて「お前、ナニコレ?イミワカラン」と言われるのが大切なのか?

 

それは、新しいものは常に、特に年長者にとっては「意味がわからないもの」だからです。

先ほど話に出たiPhoneの開発も、同じ話です。

iPhoneがリリースされた当時、日本の家電メーカー各社は、技術的には普通にiPhoneを作れたわけですよね。

しかし「その意味がわからず、技術屋のオッサンたちはバカにしていた」のです。

新しい世界観、新しい価値観とストーリーに気づかなかったのです。

おそらく日本の家電メーカーにも、その価値に気づいていた若い人もいたと思います。

しかし、上司に理解してもらえなかった。おそらくそうだと思います。

そもそも上司がすんなり理解してくれるものに「ひょっとして会社を変えるかもしれない、新しいアイデアや方法」などというものは無いと思います。

エポックメイキング(新時代を拓く)ものは、いつだって常識からは「眉をひそめられる」

これが、歴史の教えるところです。

さあ、張り切って、胸を張って、上司に「眉をひそめられよう」じゃありませんか!

それは、あなたが勇気をもって「新しい風を吹き込もう」としている、誇るべき勲章だ!!

 

まとめ
  • バズるのは「技術力」から「妄想力とストーリー力」になっている
  • 「早く、正確に、安く」よりは「共感できる」が売れる
  • 会社で一生懸命働くだけでは「世界から置いてけぼり」される。自らいろいろ興味をもって、学びながらトライし続けることが必要
  • 自分で手を動かし頭を使ってみて、そして自分の「好き」に気づく
  • 「年長者に眉をひそめられる」経験が大切

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

ではまた!

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