こんにちは!りっきー塾長です。
ひかえめに言って「今のこの仕事、けっこうクソ仕事だよな」と思ったことはありませんか?
「『ブルシットジョブ-クソどうでもいい仕事の理論』デヴィッド・グレーバー著、岩波書店」という本が最近ベストセラーになっていますが、私だけではなく、世界中でいまこの「クソ仕事」の存在が気になり、分析している人がけっこういるようです。
今回は例えば私もそうですが、「古い日本の製造業で管理職」という、わりと「クソ仕事」がトッピングされやすい環境で、若手・中堅社員がどうやったら仕事に「意味を創り出せるか」について考えていきたいと思います。
若手社員の心が壊死しないための条件
心が壊死(えし)する。けっこう過激な表現です。
しかし今回ご紹介するエピソードは全て私の実体験を描いたものであり、「心を壊死させない」は若い人に知っておいてほしい感覚です。
“このままでいいのか?
こんな仕事をするために、自分は頑張って勉強したり努力してきたのか?“
会社に入ると、あなたに「あなたはもっとこう生きるべき」「あなたがもっと成長するためには、これとこれを学んで、こうするといいよ」なんて言ってくれる、尊敬できるメンターみたいな人がいて、、、というのはほとんどフィクションで、現実的には残念ながら、ほぼ確実に現れません(笑)
だから、あなたが健全なマインドを持って「今よりも成長したい」と思えば思うほど、「停滞しているようにしかみえない現状」とのギャップが日に日に大きくなり、放っておくと、心が壊死していきます。
さて、ではどうすればいいのか?について、私なりの提案を投げ込みたいと思います。
ムダでつまらない仕事は「クソ環境で意味を見出すゲーム」と思ってみる
「どんなにつまらなそうで、単調に見える仕事にも、決して無駄な仕事はない」
よく言われることですが、個人的にはこれは半分真実でもあり、半分ウソでもあると感じています。
なぜ半分ウソなのか?
それは、「ムダではない」と認識するためには、そこに「意味を感じ」、「意義を創る」必要があり、それは原則、誰かから教えてもらうわけではなく、自分で発見しないといけない、というところにあります。
私の実例をもとに、地味でクソみたいな仕事(言い方が悪くて失礼!)でも、意味がないことはない、その意味あいを見つけられ場合はね、という実例をご紹介します。
私は入社3年目に、モノづくり企業において製造現場の主任をしていた時代があります。
その時の仕事の半分は、10kgのハンマーを振る仕事だった。
いちおう、理系大学院まで出て高等教育を受けてきた私ですが、当時の仕事は、「金属の金型に発生する亀裂を、わりと大きいハンマーを全力で振って叩いて直す」でした。
金型は72個あり、それぞれ30回ずつくらいは叩かないといけなかったので、単純計算で1日に2,000回くらい、全力でハンマーを振っていたことになる。
しかも工場内はいわゆる3K(キツイ、キタナイ、キケン)職場で、ちょっとした酸性ダストが舞っている雰囲気だったりしました。
汗がそのダストと反応して、緑色の液体になって、額から流れ落ちたりします。
私はアトピー性皮膚炎で肌が弱かったため、おでこを含めて顔じゅうの皮膚が炎症を起こし真っ赤になっていました。
こういう「筋肉労働」を中心とした業務が3年弱くらい続きました。
「こんなアホみたいな作業、秒速で機械化すればいいじゃん」と、もちろん当時の私も思いました。
全部自動化は難しいかもしれないが、例えば電動ピックなど、作業をラクにするくらいなら、安いコストでなんとでも改善が可能にみえました。
しかしその提案は、この道40年ベテラン主任の「いやダメじゃな。それは“目で見て”“手でやる”から、いいんじゃ。」という、意味不明な一言で却下されました。
人間はどうしても頭を使ってしまう動物
これって、普通に考えたらかなりのムダ労働で、「意味を感じ」「意義を創る」ことって、かなり難しいですよね。
私もこのときはあきらめて、ただの修行だと思って、ひたすらハンマーを振り続けていました。
ただ、やはり人間というもの、そういう「クソ無駄な作業」をある程度長い時間強いられると、どうしても頭を使いたくなるものです。
どうやったら、ハンマーを振る回数を少なくできるか?
つまり、鋳型の亀裂発生を抑えることができるか?私は調査を始めました。
まず鋳型の温度を図ってみた。毎日4時間以上付きっ切りで、赤外線センサーを握りしめて、操業中の鋳型の温度変化を測定するなんてことを、かなり大量にやってみた。
また、鋳型の表面に塗る薬剤の量や濃度を微妙に変えてみて、どういう変化があるか調べまくった。
その結果、温度と薬剤濃度の両方が、鋳型の亀裂に関係があることに気づき始めた。
そして鋳型の最適温度コントロールのための冷却方法を考案し、設備を改造した。
また薬剤の一番いい塗り方を考案して、これも設備を改造した。
これらを含めた鋳型のコントロール方法を標準化して、誰でもできるようにした。
この方法は15年たった今でも変わっておらず、その職場のスタンダードであり続けています。
つまり私はその職場で、ここ数十年間で一番、鋳型のコントロールに詳しい人になった、ということです。
おそらく、自分が「毎日ハンマーを2,000回全力で振る」という苦行をしていなかったら、鋳型のコントロールにここまで一生懸命取り組んでいなかったと思います。
「一見意味のない苦行」が、「頭を使って改善する」ことを後押ししたんですね。
これが、私なりの「意味を感じ」、「意義を創る」だったと思います。
歴史を振り返ると日本人は古来、伝統的にわりと「意味は分からんがやり続ける。そうするとなんか自分の「型」が見えてくる」ということをやってきた民族だった。
柔道とか書道とか「道」がつくものは、すべてこの「やり続けることで「型」が見えてくる」という修行のしかたですよね。
まあいいから、先輩のやり方を見よう見まねでやってみろ、というところから始まって、マネの反復練習をさせられる。
そして体を通じて覚えたものが、そのうち「頭」の理解に追い付いてくる。
そういうのが、日本人の「修行」というか、道を究めるために通ってきた道だったんですね。
みなさんも日々の仕事の中で「これは意味があるのか?無駄じゃね?」と思う作業に囲まれているかもしれません。
その時は、日本人の伝統である「意味の見つけ方」や、私の「10kgのハンマーを毎日2,000回振り続ける」という苦行から意味と意義を見つけたというエピソードを参考にしていただければと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
ではまた!
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