こんにちは!りっきー塾長です。
前回は、「この半年間であなたはどう成長しましたか?」という問いに、どのように答えるか?
その考え方のヒントについて考えました。
今回は、私が社会に出て20年働く中で「わりと大切だけど、きちんと教えてもらったりはしなかったな、でも今考えると、めちゃ大切!」と思うスキルについてご紹介してみたいと思います。
一言でいうと「自分と周りの人を幸せにするために、マジ必要なスキル」。
どうです?興味がわきません?
(と、自らハードルを上げてしまっているが・・・)
学生時代には偏差値38くらいにモテなかった私も、この「幸せスキル」を学びながら、それなりに実践する中で、ちゃんとそれなりにイケテル嫁さんをもらい、それなりに周りの人を幸せにして、自分も幸せを感じられるようになったという実績があります。
また31歳で40人の部下を持った時も、この「幸せスキル」について学び、悪戦苦闘しながらトライ&エラーを続けた結果、私の課は、事業所の中で当時10以上あったチームの中で、2年連続ダントツに一番「幸せな課」という結果(※)を残すことができました。
(※)当時事業所で行っていた、年1回の全従業員への「職場満足度アンケート」結果より
もしちょっとでも興味がわいたら、上から目線でいいので最後まで読んで頂き、「フン、まあまあいい話やったな」と思ってもらえれば、筆者冥利に尽きます。。
ちなみのこの「誰にも教えてもらえないスキル」は、書いたらちょっと長くなったので、シリーズ編にしてみました。
「誰も教えてくれないスキル」というタグでまとめてみましたので、興味があったら、続編も覗いてみてください。
「毎日出勤デキル」は立派なスキル
今はスキル全盛の時代です。
終身雇用や年功序列という「古き良き日本の制度」が崩れていく中で、スキルがないと社会で生き残れないなどと、いろいろなメディアが、若い(若くない人も含め)あなたを急かしまくっています。
ただこの「スキル」って、意外と“もやっと”しているんですよね。
「これからの社会で生き残るには〇〇のスキルが必須!」なんて、まあいつの時代も、中身は変わりながらも言われているわけで。
一昔前なら英会話とかエクセル・ワードスキル、今ならプログラミングやWebページ作成スキルなどでしょうか。
しかし、もちろんみなさんも感じていることでしょうが、例えばプログラミングの知識はあるに越したことはなく、それで食っていくことも別に不可能ではないと思います。
しかし物事には向き不向きがあるので、全員がプログラミングで才能が開花するとはいえません。
しかもプログラミングを勉強しても、「今の仕事で何かに生かせる」というイメージがわかない・・・
そこで、特にサラリーマンの皆さんに朗報があります。
それは「毎日始業前に、きちんと出社して上司に挨拶できる」というのは、わりと「ちゃんとしたスキルである」ということです。
は?なにそれ?と思った方もいるかと思いますが、私はわりとマジメに言っています。
最近、ブログやアフェリエイトなどのいわゆる「デジタルコンテンツ」で飯を食っている人の記事をよく読みます。また海外で生活している人のコラムなんかも読みます。
私自身も今は海外(韓国)で生活しており、少し前はフィリピンに(2か月間ですが)いたりしました。
そういう中で、嫌なことがあっても、多少体調が悪くても、きっちり毎日「ちゃんと同じ時刻に会社に行って、ちゃんと人と挨拶ができる」というのは、意外とけっこうなスキルだよな、とわりと本気で思うようになりました。
社会の中で「最低限のマナーを守れる」のは立派なスキル
なぜかというと、この「毎日定時前に出社してちゃんと挨拶」って、意外とデキナイ人が、世の中には少なからずいるんですよね。
まず、前日どんなに遅くまで飲んだりしても、朝早く起きないといけない。
また会社では嫌なこと、キツイこともありますが、メンタル凹み気味でも、一応平然を装って、「おはようございます!」と上司に挨拶しないといけない。
フィリピンとかはわりと時間や各種制約にルーズなところがあり、約束に遅刻するとか、ドタキャンするとかは、普通に起きました。
韓国でも、修理業者さんが約束していた時間通りに来ないとか、会社の中でも、平気でミーティングなどの約束を忘れるとか、結構あります。
当然こういうことはしないほうがいいのですが、こういう国では「まあしょうがないよね。あるよね。」と、遅刻されたりすっぽかされたほうも、それほど怒ることもなく、意外とユルイところがある。
だから、毎日出勤して、きちんと上司に挨拶できるとか、会議や訪問の約束をきちんと守るというのは、それだけで「偉い!ナイススキル!」といえると思うのです。
極端かつ究極の質問にはなるのですが、例えば「プログラミングはできるが、わりと毎日のように遅刻はするは、しかも挨拶もせずに不機嫌に現れる若手」と、「プログラミングはできないが、遅刻はせず、上機嫌で挨拶できる若手」のどっちを部下にしたいか?と言われたら、おそらく答えはほぼ決まるわけで・・・
会社の情報システム部門でさえも、わりと多くの人が後者を選ぶのでは?と思います。
プログラミングのスキルは、学んで向上させていけばいいだけの話ですが、人として最低限のことができない人は、そもそも仲間として一緒に働きたくないわけで。
特に若いうちは、スキルよりなにより、人として「仲間として」チームに迎え入れてもらえるかどうか?がわりと重要な「スキル」だったりします。
意外とノウハウのカタマリである「自分」を見つめなおす
今は、会社員はオワコン(終わったコンテンツ)とか、これからは自分の事業を持て!とか言われている時代です。
まるで会社員には「生きていくための独自のノウハウが少なく、会社でやっていることや、資産として残っていくことはほとんど会社のものとなり、個人にはほとんど何も残らない」という論調です。
しかし、です。
「使えない、ツブシが効かない」といわれる会社員のスキルですが、少し丁寧に見てみると、意外とそれは「けっこうイケテルスキルのカタマリ」だったりします。
例えば自分では、普通にやっているつもりの「複数の人の意見を聞き、その人の立場をふまえつつ、”相手が多少嫌がるかもしれないがやるべき”というアクションをお願いする」とか、「複数の人の意見・発言を分かりやすくまとめたミーティングの議事録を作る」とかです。
それはその会社内だけで見たら「当たり前のごく普通のスキル」かもしれませんが、ほかの会社やほかのコミュニティの人から見れば「スゲーノウハウやん」となることがあるのです。
自分が「仕方なくやっていること」を別の視点で見てみる
私の元部下で、相手が誰であっても、上司/部下、自部署/他部署問わず、いつも文句を言われている人がいました(以下A君とします)。
A君は人がイイので、他人の愚痴とか不平不満とかを全部、わりと全身で受け止めちゃうタイプなんですよね。
だからA君は傍から見ていると、いつも人から文句を言われて、「そうですね~~と」困ったような相槌を打っていました。
A君自身、なぜ自分だけこういう状況になるか、よくわかっていなかったし、この状態に不満があるようでした。
「なぜかみんな、私に文句や愚痴を言ってくるんです。ただ私はというと、「はあ」とか「へえ」とか言うだけで、大した解決も対応もできないことも多く、すごくストレスがたまるんです」なんて言って、いつも困った顔をしていました。
しかし私から言わせるとこれ、「とんでもなくスペシャルなスキル」なのです。
ふざけているわけではなく、かなりマジメに言っています。
なぜか?
会社という組織では、どちらかというと「人の話は一応聞く(ふりをする)が、途中で自分の意見を被せて、マウントをとって相手を凌駕する」というシーンが、わりと多く存在します。
特に「優秀」と言われている人は、基本的に自分に自信があり、自分の意見は常に正しいと思っていることが多いので、人の話を時間をかけて聞いて、最後まで寄り添って共感するなんていう「しちめんどくさい」ことは、ほぼ間違いなくしません。
「興味のある所だけ」を相手から聞き出して情報を奪い去り、あとは自分の言いたいことをピシャリ言って、はい終わり!になることなんて、けっこうあります。
そんな「優秀な人」が一定数存在する中で、A君は相手が誰だろうと、最後まで話を聞いて、共感して、寄り添ってあげていた。
カッコイイ解決策やスマートな改善提案はなかなか出せなかったかもしれないが、それでも最後まで相手の話を聞いて、共感して、寄り添っていてあげていた。
これはなかなかできることではありません。
「誰からも気軽に文句や愚痴を言われる」ということを、A君自身は「自分は損をする性格」だと考えていました。
しかしこれは裏を返すと「みんな彼にだからこそ、本音も愚痴も隠さずに言える」のであり、彼だから聞いてくれると思われていたということです。
実際彼は、気軽に文句や愚痴を言われていましたが、同時に現場の人からかなり愛されてもいました。
職位や部門を超えて、いろいろな飲み会にも誘われていました。
つまり、人として好かれていたということです。
そもそも愚痴を言っている人自身も、必ずしも問題の解決を期待して、彼に相談して(文句を言って)いたわけではないんですよね。
どちらかというと「自分はこんなに苦労しているのに、こんなに理不尽なことがある。それを誰かに聞いてほしい!」という思いのほうが強い。
本音ではただ、「俺の話を聞いてくれ!」って思っていることが多いんですよね。
これを黙って聞いてあげられる彼は、コーチングやカウンセリングでいうところの「傾聴」「Deep listening」がすでにできているわけです。
「自分の偏り」に「光を当て」そして「意味をつくり」「育てる」
さきほどのA君は、自分のこの「隠れたスキル」が、それほど特別な能力だとは思っていませんでした。
しかしこの隠れた自分の偏り(才能)に光を当て、コーチングやカウンセリングの文脈で言語化して「傾聴スキル」「Deep listeningスキル」に昇華させて、自分の武器に育てていけば、かなりレアでスペシャルなスキルを持った人材になれると思うのです。
(ある時これを、彼にわりとマジメに伝えたのですが、その時は「また、私をネタにしてるでしょ!」と冗談だと思われてしまった・・・)
人間は誰しも、ある種の「偏り」をもって生まれ、育ってきています。
その「自分の偏り」に気付き、そこに光を当て、意味をつけて育てていくことが、自分という素材を磨き、スペシャルな人材になるためにはとても大切な事です。
欲を言えば、学校の先生や会社の上司など、社会生活の中で自分の近くにいる人が、「自分の偏りに光を当て、育てる」プロセスを支援してくれるのが理想的ですが、現実はなかなかそんな人はいません。
だからこそ、「自らが自らの偏りに気付き、その成長を支援する」ということが大切なのです。
今回のテーマは「セルフプロデュース」ですが、自分の偏りに気付き、それを単に欠点とみなすのではなく、とらえ方をプラスに変えてスペシャルなものに育てるというスキルは、自らの成長をコントロールするうえで決定的に大切になります。
この「自らの偏りをスペシャルなスキルに昇華させる」という、自分で自分をプロデュースする能力を磨いていくことは、人が社会の中で成長する上で、絶対的に身に着けるべき方法論だと思うのです。
そしてこれは、きちんと人から教えてもらうことが、そういうチャンスがほとんどない。
だから今回、かなり強調して書いてみました。
今回の記事を読んで、「セルフプロデュース力」について少しでも共感してくれて、磨いていく人が増えれば、今よりも少しでもいい会社、いい社会になってくれれば、これ以上の喜びはありません!
最後に一曲。
「何でもないようなことが♪」「すごいスキルだと思~う~♪」(どこかで聞いたような?)
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
ではまた!
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