自己肯定感と儒教のはなし【無批判に上司を信頼してはいけない】

blind-person メンタルタフネスをつくる

こんにちは!りっきー塾長です。

さて、突然ですがあなたは「上司を尊敬して、信頼していますか?」

私は、高校まで体育会系だったということもあり、昔はわりと素直に「上司を尊敬して、信頼しようとして」いました。

しかし、社会での痛い経験を通じて、それをやめることにしました。

 

そもそも日本は儒教の教えである「年長者は無条件に尊敬して信頼する」を、現代においてもかなり守っている民族です。わたしもこの「敬老精神」自体は別に反対しません。

日本の文化と伝統は、こういう人間関係に関するものも含めて、わたしはキライではありません。どちらかというと、素晴らしいと感じることが多いです。

しかし今回はあえて、この伝統の教えを一度「アンラーン」(学んだことを一度捨てること)することで、「敬老精神」を、年齢や性別、立場を問わない「すべての人へのリスペクト」へと昇華させてみようと思います。

 

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自己肯定感と儒教のはなし

上司や先輩、つまり目上の人の話は、無条件でよく聞くこと。

日本人は世界で見ても最上級に、これができる国民です。

 

これは義務教育から始まる「教育」の成果とも言えます。

先生や先輩は、「目上の人の言うことには従え」「できないと簡単に言うな!できるまで努力しなさい!」と、よく言いますよね。この言いつけを「素直に守っている」ということです。

しかし、それが悪いほうに作用する場合があるのです。

 

それは「目上の人の指示を指摘できない」、「できないと言わない(Say NO)」のは、「できないと言えない(Can’t say NO)」に簡単に変わるということです。

 

本物の自己肯定感とは

本当の自己肯定感は、「デキル自分も、デキナイ自分も素直に認める」というところから始まります。

デキナイ自分は愛せない、それは自分ではない、という概念は、「優秀じゃないと自分じゃない」という歪んだ認知をもたらします。

 

特に高学歴な人に多いと感じますが、それまで努力して勉強して、ある一定の成果を上げてきたと認識している人。

人以上に努力した。だから勉強ができた。

 

しかし社会に入って、初めて「努力してもデキナイ」という事実に直面する。

その時に、デキナイ自分が認められない、認めたくない、という感情に直面することになる。

 

「デキナイ自分は愛せない、許せない」というのは、本当の自己肯定ではありません。

それは逆に言うと「デキナイ自分、イケテナイ自分は愛せない」という、ただの自己否定の裏返しになってしまいます。

 

「デキタから、デキテいるから自信がある」のではなく、「デキなくても、デキていなくても自信がある」というのが、本物の自己肯定感です。

かなり雑に言ってしまうと、「いい意味での勘違い力」となります。

 

「思い込みの力」とも言います。この「思い込む力」を発揮して有名になった人の例を紹介します。

「ブリキのおもちゃ博物館」を作り、「開運!なんでも鑑定団」の鑑定士としても有名な、北原照久さんという方がいます。

この方、自著も多く出版しているのですが、その中で、なぜ「ブリキのおもちゃ」という、一見地味なモノで有名になれたか?について語っています。

それは、「自分はとてつもなく運がいいと信じていること」

もちろん努力もされたと思いますが、ブリキのおもちゃで生きる!という「まあまあ無謀な作戦」が成功したのは、運だと。自分がメチャメチャ運がいい人間だと「思って、信じていたから」だと。

しかもこれは、売れてからそう考えたのではなく、全く売れずに借金だらけの時からずっと、「俺は運がいい」と思っていたのだそうです。

思考は現実化するとか、考えたことがそのまま現実になるとかよく言われますが、まさしくこれを地でいってますよね。

 

儒教の教えとその結果

日本は儒教の影響を少なからず受けています。

特に体育会系は「タテ社会」ですから、先輩の言うことは絶対です。

「黒いカラスを見ても、先輩がそれは白だといえば、白と思え!」というタテ社会を表現する格言、聞いたことありませんか?

会社において、先輩や上司の言うことを、無批判に肯定する。

体育会系のイケイケの会社では普通かもしれませんが、実はこれ、かなり危険なんですよね。

 

それでも企業や会社が上向きだった時代、景気や給料が上向きだった時代には、それでもよかったのかもしれません。

我慢していれば、社会も給料も成長できたのですから。

しかし今は、同じようなことをしても、昔ほど売り上げが上がらず、利益も出ず、給料も上がりません。

上司の指示に盲目的に従っているだけだと下手すると、どこかの会社みたいに「粉飾決算」に知らないうちに手を貸していた、ということになり、会社も自分も追い詰めることになります。

 

人間は誰かに認められたい生き物

人間、だれかに認められて、誰かに守られたいという感情があります。

若い時には「上司」というものの存在は、結構絶対的なところがあります。

なので、上司に理解されたい。嫌われたくない。上司に守ってほしい・・・

上司の期待には応えたい・・・

 

そうやって、上司の「どうみても無茶ぶり」や「ちょっとそれ、ちがうだろ」という指示にも、盲目的に従い、できない場合は自分を責める。

デキナイ自分、上司から評価されていない自分が許せない、そしてまた焦っていく・・・

という、メンタルデフレスパイラルに陥り、抜け出せなくなっていきます。

 

上司や先輩に「ツッコミを入れられる」力が大切

先輩や上司の言うことに「ふざけんな、アホちゃうの?できるわけなやろ!!」とか、「それ意味なくね?」と、冷静にツッコミを入れられることが大切なのです。

あくまで、心の中で「ツッコミを入れられる、Can」の話です。

実際にそのままストレートに言い返す、という意味ではありません(笑)

相手が上司でも先輩でも、人の言うことを、客観的に見る力、自分で考えて冷静にコメントできる力が必要だ、ということです。

 

上司のほうも人間です。

反論や反抗してこない部下には、さらに厳しく指導をする人がいます。

理由は簡単。言いやすいからです。

上司といえども部下から本気で反抗され、理論整然と言い返されるのは正直厄介です。

だから、何も言ってこない部下のほうが、気持ちよく指導できてしまったりします。

 

こういう上司の部下に、帰国子女がついたりすると、結構面白ことになるようです。

特に欧米など、上司と部下がある程度フラットで、立場によらず意見が言える環境で育った人は特にそうです。

例えば上司が、「今日中にこれを仕上げて」と言ったとします。

普通の日本人の部下なら、心の中で「え~、これなんか意味なくね?っていうか、そもそも私の仕事じゃない気がする。その前にもう、定時過ぎてるじゃん・・・」と思っていても、「はいわかりました」の一択だったりする。

しかし帰国子女はそう言わない。

「あの、本日は定時過ぎており、予定がありますので、残業できません。

 どうしてもお急ぎなら、明日の朝、早朝出てきてやります。2時間は必要ですので、

 2時間分の早朝残業を許可いただけますか?

 その前に、そこまで急ぐ理由を教えていただけませんか?

 

この感覚、欧米なら当たり前のようです。

 

時代錯誤を再生産してはいけない

そういえば、約15年前に当時の上司が、新入社員だった後輩(欧米風のマインドを持った変わった奴だった)に、こんな事を言っていたのを思い出しました。

「お前さ、そういう風に、あれがおかしいとか、これが意味があるのか?とか、そういうことを考える前に、まずは目の前の仕事に集中しろよ。

ここは欧米じゃなく、日本の企業だ!日本の会社は、お前みたいな若いのが、いちいち細かいことを意見できる場所じゃないんだよ。

それがイヤなら、外資系の企業に行け!!」

 

いくら15年前とはいえ、当時でも正直どうかと思った発言ですが、今ならスマホで録音されて、はい、おしまいですよね。

これを発言された方は今50代ですが、まあこの方に限らず、これが偽らざる「伝統的な日本」の「50代オジサンのホンネ」の考え方ですよね。

この50代上司も、30年前の新入社員時代には、おそらく当時の上司から、同じようなことを言われたのだろうと思います。

しかし無批判に、「時代錯誤の再生産」をしてはいけません

「昔上司に言われたこと、された『イヤな』ことを、そのまま後輩にする」という「無能の再生産」は、やめましょう。

負の連鎖は、自分で打ち切るという勇気が大切です。

 

まとめ
  • 「デキなくても、デキていなくても自信がある」というのが、本物の自己肯定感だ
  • そのためのコツは「自分はとてつもなく運がいいと信じていること」
  • 上司に「違うやん!それ!」とツッコミを入れられる力が必要
  • 「時代錯誤」の再生産をしてはいけない。未来は自分で変えられる。過去にひきずられることはない。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

ではまた!

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