こんにちは!りっきー塾長です。
さて今までに、「控えめに言って、ここは地獄のようなサイテーな職場だ」とか思ったことはありませんか?
私も若いころ、理系大学院まで卒業して入った職場が、「10kgのハンマーを全力で1日2,000回振る」という仕事であり、わりと真剣に「あ~、わりと地獄の仕事だな」と思っていたことがあります。
また、ハラスメント系の上司の下で働き、適応障害になって会社に行けなくなったこともあります。
しかしあれから10年以上たった今考えると、その「最低な経験」は、自分の人間の幅を広げてくれた、その後の人生の幸福感を上げてくれたものでした。
今回は、「控えめにいって最低な経験」が、その後の人生の幸福を生み出すということを、最新の「ハピネスの学術的研究」と自分の経験を交えて、まとめていきたいと思います。
イケてない機能不全の職場に入ってしまったとき
仕事とココロの負担は、たいてい若手にかかる
この場合、チーム内で仕事の押し付け合いが始まります。
みんな自分の仕事で手一杯なので、担当と担当の間や、担当が複数にまたがるような仕事、よく野球で例えるところの「三遊間の仕事」がのきなみ宙に浮きます。
そしてそれを、屁理屈を並べて、人に押し付け合う。
その結果、発言権が弱い人(若手や新参者)に負担がかかることになる。
余裕がないので、仕事を効率化する「カイゼン」を考えるヒマがありません。
本当は新しいことを勉強しないといけないのに、それを学ぶ余裕がない。
そんなことを考えるヒマがあったら、とにかく手を動かせ!とか言われてしまいます。
この場合の対処方法は、一番手っ取り早いのは、上司を変えてしまうことです。
チームが機能不全に陥っているのは、一言で言うと上司が悪いのです。
今の時代、上司がプレイングマネージャーになっており、上司だって自分のタスクで忙しいのだ!という言い訳も十分わかります。
しかしこの状態を打開できるのは、チームリーダーしかいません。
というか、そのためにチームリーダーなり上司がいるのです。
チームのマネジメントができないのならば、厳しい言い方ですが「存在価値がない」。
ただそうはいっても、上司はすぐには変わりません。
早くてもその上司やあなたが転勤・転属するまで2~3年は待つ必要がある。
ブラック企業はダメだが、ブラックな経験は幸福感を生み出す話
それは、「このきつい経験は、将来の幸せのために必ず必要な試練である」と理解することです。
ありきたりの「意識高い系」の結論だな、と思ったかもしれませんが、これは学術的にも結論が出ているもので、もう少しお付き合いくだされば、と思います。
人々の幸福を研究している、石川善樹さんという研究者がいます。
彼は最近「フルライフ ~ハードな仕事と長い人生の“重心”はどこにあるのか?~」(NewsPicksパブリッシング)という本を出版しています。
彼は一連の研究の中で、工場で働く非正規社員(派遣社員)の幸福度調査をしました。
週5日フルで働いても、年収150~200万円ほどにしかならない仕事です。
調査結果は予想通り、全体的に幸福度はかなり低かった。
しかしその中で、幸福度が高い人たちがいた。
彼は、そういう人たちに、なぜ幸福度が高いか、インタビューを通じて詳しく調査しました。
その結果、共通する項目があったといいます。
①と②は誰が聞いても納得できる、前向きな項目ですよね。
ここでの問題は③です。
この調査対象者のように、分かりやすく「低収入」「低成長(賃金、スキル)」の仕事でも、過去にもっとひどい環境を経験した人は、現状の幸福度が高くなる。
まあいまもベストではないが、あれよりはベターだよね、という感覚です。
あまり前向きな結論に聞こえないかもしれませんが、これがわりと、みんなが陥りやすい「幸福のワナ」が潜んでいるということです。
どういうことか?わかりやすく言うと、「幸福は、絶対値ではなく、あくまで自分の感じ方の問題、相対的なモノ」だというのが事実だ、ということです。
ここから学ぶべきは、「人間はつらい境遇を経験することで、それ以降の人生の幸福度が上がる」ということです。
生死をさまようような大病から復活した後に、大活躍したという人の例は、あまた存在します。
今は大活躍している、歌手で俳優の「星野源」も、2012年にくも膜下出血で大手術をして、地獄のようなリハビリを経て、奇跡の復活を遂げたことは、有名な話です。
その生死をさまよう日々を経て、彼の独自の世界観や音楽観に磨きがかかったといわれています。
今のつらい経験はあとで必ず生かせる
いま、職場でつらい境遇で働いている。
ハラスメント上司がいたり、まったくイキイキしていないチームで働いている。何のために働くのか、目的も一体感も、ヘッタクレもない・・・
今のその時間は、短い時間軸で見ると「イケてない、おもしろくない日々」でしょう。
しかし少し長い目で見ると、そのつらい経験が、その後の幸福な人生に必ず必要な時期だったと気づくときが来るのです。
私も約7年前に、適応障害で2か月まともに会社に行けなくなった、つらい日々を経験しました。
当時は、きつくつらく、「このまま消えてしまいたいな」とか、軽くヤバイ思考に陥ってました。
しかし今ははっきり言えます。
あの地獄の日々は、私の人間の幅を広げる必要な経験だったと。
自分で言うのもなんですが、子供の時から私はどちらかというと「要領のいい」ほうで、勉強も仕事もそれなりにできたんですね。
だから、できない人や、弱い人の気持ちを、本当に理解することはできていなかったんです。
しかし、自分がつらい経験をすることで、きつくなってしまっている人、病んでしまっている人、弱っている人、デキない人の気持ちが理解できるようになった。
そういう人たちが、周りを見渡せば、けっこういることに気づいた。
そしてそういう人たちに寄り添って、勇気が出る言葉をかけてあげられるようになった。
それが私の役割の一つだということに気づいた。
きつくつらい日々を経験しても、人間は「考える」ことができます。
その時間の意味が、自分にとっての意義が分かる時が、必ず来ます。
今はきついかもしれませんが、必ずその経験は、あなたの糧(かて)になります。
それを信じて、今は厳冬かもしれませんが、服をたくさん着込んで、寒さが過ぎるのをじっと待ちましょう。
うつ病の「そのあと」が大切 ~ピンチをチャンスに変える~
「従来型うつ病」を患った人は、会社を辞めた人もいますが、辞めていない人のほうが多く、その後ほとんど復帰して、普通の生活に戻っています。
私のような「適応障害」は特に、障害となる事象がなくなると、比較的早く回復することができます。
「未熟型・新型うつ病」を患った人は、私が知る限り全員辞めています。
彼らの認知が変わらなかった、もしくは成長させることができなかったということです。
私は「“うつ”のあと」がとても大切だと思います。
うつになる人は、もともと自己否定型で自信があまりない人だけではありません。
変化が激しく、様々な役割や成長を短期間で求められる現代において、何事にも動じず「静かな自信」であふれている人なんて、ほとんどいません。
みな外見はイキイキ見えても、心の底では「何とも言えない不安感、不満感」を抱えていることが多い。
うつになっていない人も、うつになったことがある人も、いつでも「うつの症状」が出てもおかしくないのです。
うつになったことがある人は、うつのつらさや苦しみが分かります。
そういう人は誰しも、自分がどのようにして、うつの状態に陥ったかを内省します。
そして今後二度と、そうならないように頑張っています。
自分と人のココロの痛みを、以前にも増して理解できるようになります。
ただ、「うつを語る」のは、それほどたやすいものではありません。
やはりふつう、それは「語りたくない歴史」であり、自分の汚点ととらえている人もいるくらいだからです。
「うつになってしまった、不完全な自分」を認めることが必要なのです。
そしてこれが、予想以上に勇気が必要なのです。
誰しも自分の欠点や足りない部分を、自分で認めたくありません。
それを認めると、今まで築いてきた自分というものが丸ごと崩壊しそうで、怖いのです。
ただ見方を変えると、うつ病のような「心の病気」になることは、チャンスともいえるのです。
メンタルの病(メニエール症)をきっかけに人生を好転させた人の話
元リクルートの社員で、東京都で民間中学初の一般人の校長になり、今は教育実践家として有名な藤原和博さんも、心の病気からキャリアチェンジをして、大成功した一人です。
彼は新卒で入ったリクルートで、メチャクチャ活躍して、誰よりも早く出世街道を登っていきました。
昼はバリバリ仕事、夜はホテルのプールを貸し切りで飲み明かすという派手な生活をしていた。
そんなイケイケの仕事・生活を続け、30代になったある日、目の前の景色が突然「ぐるっと一回り」したそうです。
それと共に、とんでもない吐き気が襲うようになった。
病院で調べたら、当時まだ珍しくほとんど知られていなかった「メニエール病」という、耳の奥の三半規管の病気と判明した。
詳細な原因は今でも不明ですが、一種の心身症、つまりストレスからくる病気だといわれています。
彼はこれがきっかでで、それまでの働き方と会社への向き合い方を考えざるを得なくなった。そこから、正社員ではなく「契約社員」という働き方を会社に提案し、リクルート初の「フェロー(契約社員)」という肩書を作り、その後は教育の世界に飛び込むことになった。
彼曰く「メニエール病が、自分の人生を考え直すきっかけを与えてくれた」そうです。
もしそれまでの「ド派手な働き方」を続けていたら、きっと死んでいたかもしれないと、後に回想しています。
心と体はつながっています。
そして体は正直です。
自分に合わない働き方、仕事への向き合い方をすると、メンタルより先に体が反応してくれる場合があるということです。
そしてそれは、「そのままだと、取り返しつかない病気になるよ」という、体のサインであることが多い。
一度うつ病やメンタルが要因の病気を体験した人は、自分と世界の関わり方について、どうしても考えざるを得ません。
今までと同じやり方、考え方では、またいつか、同じことになる。
常識や暗黙のルールにとらわれず、自分なりの「世界/社会とのかかわり方」「自分の認識のしかた」を育てていかなければならない。
しかしこれを機に、自分にしかできない世の中とのかかわり方を考えていく、というチャンスでもあるのです。
あなたも将来、ひょっとして「メンタルが疲れて」「体に症状があらわれる」時が来るかもしれません。
その時は、この話を思い出して、「どこか自分が無理をしていないか?」「自分がすべてを完璧にしようとしすぎていないか?」「勝手に何かに制約を掛けたり、強制力を持たせていないか?」と、自分の心に聞いてみましょう。
心の声を素直に聞いてみる、不完全な自分、デキない自分を認めて、そこからゆっくり歩きだす。これが大切なのです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
じゃあ、また!
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